地球での旅はバランス感覚が鍵 その13

「愛」とつながることは、何ともいえない怖さのようなものがあるかも知れないね。
すべてを飲み込まれてしまいそうな、眩しくて目を背けたくなるような、自分の中の闇が浮き彫りにされるようでザワザワする感じ。
手にしたものを、すべて差し出さなくてはいけないような、腹の中をすべて見せるような気持ちの悪さ。
自分を適度にさらけ出して、周りと適度にうまくやる。
自分を安全地帯に置いたまま、人とつながって来れたから、これ以外も、これ以上も知らないし、知る必要も感じないよね。
イヂワルや皮肉で言ってるんじゃないんだ。
本当にそんな世の中だし、実際愛なんて目に見えないしね。
わざわざ、大変なことに首突っ込んで巻き添いになるのも嫌だし、自分の暮らしで精一杯だから、
愛とつながるったって、そもそもどこに行けばつながれるのか、何をすればつながれるのかも分かんないよね。
でも、でもさ!
そんな自分にも、何かやれることはないかなって、今を壊したくはないけど、やれることはあるんじゃないかなって、みんなに生きる意味があるならば、自分にも使命みたいなものがあるんじゃないかなって、あるなら知りたい!知りたいけど、でも変化しちゃうのは怖い。
こんなふうに、漠然としたモヤモヤを感じてる人がたくさんいる。

「愛」って付くものって、ほとんどが胡散臭いしね。
へんな商法や組織や活動や。
まともだったとしても、純粋すぎたり、熱すぎて、やっぱ怖いというか無理。
だから、すごく慎重になっちゃう。
でも、やっぱ気になる。
これは以前の私が抱いてた素直な気持ち。
だから、よく分かるんです。
ただまっすぐでピュアじゃないから、計算高さやずる賢さがあるから、なかなか信用できない。
駆け引きしちゃう修正や、おどけて見せるくせや、数え切れないほどの私という特徴。
斜めに物事を見たり、傷つかないようにごまかしたり、あるあるだよね。

じゃあ、なんで今は違うのかって言うと、
単純にこのモードに気が済んだから。
この存在の仕方に、飽きたから。
着古した洋服に飽きて、ちょっと違うテイストのものを買い換えるように、違う生き方にシフトする。
愛を疑い怖がっていたモードから、愛を育て、受け取り届けるモードに生き方をシフト。
最初は、着慣れない服のように気恥ずかしいけれど、練習練習!
いいじゃん!と言ってもらうたびに、自信がついていく。その繰り返し。
なんでも、切り替えるのってちょっと怖いけど、愛へのシフトで失ったものは目に見えるものばかりで、目に見えない本当に大切なもの(星の王子様みたいだけど)は、シフトしてもしなくてもずっとずっとあって、失う事はなかった。
ただ、ずっとあったことを感じれるようになっただけ。

— 2019/2/3 Facebookの投稿より —